こまこの絶縁体験記
昨日、娘に「今すぐ遊んでくれなきゃ、ぎゅーしてあげないよ!」と言われて、いそいそと一緒に遊んでしまった、4歳児に振り回されっぱなしのアラフォー母です。
絶縁に至ってから、もうすぐ7年ほどになります。
絶縁までの経緯が、”さすが毒親”と言わざるを得ない奇想天外な展開で、いまだに私もよく分からないんですよね・・・
絶縁後は、しばらく思い出してはイライラしていましたが、いまでは毒親の存在を思い出すことすらあまりなくなってきていました。
そんな毒親との絶縁体験記です。
めちゃくちゃ長いです。すみません・・・
〈目次〉
- 母の毒親スペック
- 娘の弱みに付け込み、助けるふりをして近寄り搾取する毒親
- 恐怖の提案「お前のために」
- 毒母の思惑と搾取子の叫び
- 毒母、総入れ歯になる
- 優位になったとたん本性を現す毒母
- 立派に毒を受け継いだ息子の登場
- こまこ、家具泥棒になる?!
- 搾取子=親の尻拭い係=こまこ
- 毒母のプライドが高すぎたから、逃げられた!
- 毒親を乗り越えた!?
母の毒親スペック
- 私は絶対に謝らないわよ!謝ったら損するわ!謝ったら死んじゃうんだから!!(言うとしたら「はいはい申し訳ありませんね!お母さんが全部悪いんですよね!」謝る気はゼロ)
- 私のほうが何だって知っているわ!私のほうが大変なのよ!黙りなさい!!
- 私は誰よりも良い人よ!そうでしょ?!
- 0か100よ!あの人大っ嫌い!(昨日まであの人いい人って言ってたじゃん・・・)
- 常に上から「し・て・あ・げ・る」
- 娘の頑張り?そんなの知らないわよ!全ては私のおかげなのよ!
- 人格否定ですって?失礼な!「お前のため」にしてあげているのよ、感謝しなさい!
- 私には現実を変える力があるのよ!「そんなこと言ってない!」ほらね?
- 得意技は責任転嫁、必殺技は「そんなつもりじゃない!そんな風に受け取るお前が、人としておかしい!お前は最低の人間だ~!!」
- 娘の人権?そんなのないわ!そもそも娘って人間なのかしら?
- 娘が褒められるのは死ぬほどムカつくわ!蹴落としてやる!
- 娘は性にだらしないの!「汚らわしい!」
- 娘に彼氏が出来るのが気に食わないのよ!娘は私の奴隷よ!妊娠しちゃうから彼氏なんか作っちゃダメ!
- 結婚相手は私の条件に見合った人でなきゃ反対するわよ!あ、でも海外移住したいから、もうそんなのどうでもいいわ。早く出て行ってちょうだい!
- 口癖は、「お母さんだって昔は美人だ美人だってみんなから言われてたのよ!今だってこの年でも綺麗だって言われるんだから!」ザ・自己顕示欲の塊。
- 子どもは親の言うことだけ聞いてればいいの!お母さんの言うこと聞いて良かったでしょ?お母さんのおかげでしょ?
- 私は誰よりも偉くてよ!下々の者ひれ伏しなさい!こまこ、あんたは最下層よ!
- 私の意見に賛成しなさい!反対意見なんて許さないわ!私を否定しないでよ!!!
- あんたの話なんてどうでもいいの!私の話を聞きなさい!
- でも、本当は愛されている自信がないの。ねえ、お母さんのこと大切でしょ??
- 「女のくせにタバコを吸うなんてみっともない!」と女優に言うわ(テレビ越しにね)でもほんとうはタバコがないと死んじゃうの私。家族にはバレてないと思うわ!
- 娘が献血するっていうから、言ってやったの!「そんなフシダラなことして、変な病気になったり、妊娠したら、お母さん知らないからね!」
- 孫の面倒なんて、絶対に見ないから!(頼んでませんが??)
- 老後の面倒は見なさいよ!でも私たちは自由に生きたいから、文句は言うんじゃないわよ!
- こまこがケガした!!笑いが止まらないわ!でも人がいる時は心配してるふりしなくちゃ。だって私はいい母親だもの~~!「こまこちゃん、大丈夫?心配したわ~!」
- こまこは根性が悪くて、性格も悪くて、人として最悪で、性格きつくて、悪だくみしていて、最低なの!現実?そんなの知らないわよ!これは決定事項なの!
娘の弱みに付け込み、助けるふりをして近寄り搾取する毒親
私が嫁姑問題で弱り果てていた頃、母親は、歯医者に行くために日本に帰ってきました。
母親の中では、嫁姑問題で困っている娘の為に、わざわざ帰って来てやったと思い込んでいたようです。
「お前のために帰ってきてやったのに」と何度も言われましたから・・・
実際は、私がどんなに具合が悪くて横になりたくても、家のことは一切やってくれることも、手伝ってくれることすらありませんでした。
逆に両親が来たことで、私が大変になりました。
あなたたち、何のために来たの?
恐怖の提案「お前のために」
住民票が取れないと、健康保険に入れない。
(当時の私たち夫婦の賃貸契約では、親の住民票を受け入れることが出来ませんでした)
焦った母は、私に恐怖の提案をしました。
「お前が困っているから、一緒に住んであげる。お前のために。」(なんて心優しい母親かしら~感謝なさい!)
→両親の中で事実が脳内変換されていく瞬間キラリ~ン✨
この頃には、遅まきながらやっと自分の親が毒親だと気づき始めていましたが、嫁姑問題で弱った心では、正しい判断ができませんでした。
両親が海外移住しているやっかみでイビられていたのに・・・
心の中では、まだ毒親かどうか半信半疑だったこともあり、母親の言葉を受け入れてしまったのです。
新居に対する私たち夫婦の意見もありました。
- 両親が知らない土地で困らないように、大きな総合病院の近くが良いのでは?
- 職場へのアクセスのよさ
- 姑の生活圏外に住みたい
- スーパーが近くにある
- 学校が近くにある
もちろん、同居の話が出た段階で、物件購入費の半分は私たちが払う予定でいました。
でも私たちに意見を言わせないため、そしてコントロール下に置くために、一銭も払わせては貰えませんでした。
そもそも、同居なのに私たちの意見を聞く気すらないのです。
話し合いすらなしです。
全て両親主導。
何度も言いますが、同居なのに。
でも、「老後はよろしくね♪」
毒母の思惑と搾取子の叫び
- 日本の拠点がないと、時々帰国したときや、病気の時に困るわ!
- でも他人に貸しては好きな時に戻って来られないじゃない!
- なら娘夫婦に住まわせて、老後の面倒を見させればいい!
- お金を出させたら、何かあったとき自分たちの思い通りにいかなくなるわね~。
- 都合が悪くなれば、追い出せばいいのよ!!私って天才!
結局、自分たちの都合しか考えてないんですよね。
いつまでたっても、搾取子は一人の人間として認めてもらえないので、意見など言ってはならないのです。
親のコントロール下にいて、「はい、はい」と言わなければならないのです。
でもね、いざ家を買うとなったら、私や夫に業者との仲介を全て押し付けて来ました。
母親は、とにかく早く病院に行くために住民票を取る必要があったので、焦っていたようです。
自分の理想の期日までにどうにか契約を済ませるために、具合の悪い私にせっついていました。
しまいには、「お前たちが元実家に住まないって言うから、売っちゃったんだから!」とありえない責任転嫁をしてきました。
ついつい「ごめんなさい」と謝ってしまう、搾取子。悲しや・・・
結婚したら県外に行くことは決まっていたよね?
そもそも、そんなこと言うなら海外移住辞めれば?
私たちの家じゃないから、そんな責任持てませんよ。
「本当はお兄ちゃんが私たちと住めるはずなのに、お兄ちゃんは優しいからお前と住めばいいって言ってくれたんだからね!」という優しい長男と一緒に地元に住んであげればいいんじゃない?
言っておきますが、私たちは一度も、自分たちから一緒に住んでほしいとは言っていませんよ。
両親も、「老後は子どもに迷惑かけないから」とず~っと言っていたのに、蓋を開けてみたら、面倒見させる気満々だったよ!ビックリ!!
「私たちと住める」って、なにかの特典ですか?重荷でしかありませんが~?!
毒母、総入れ歯になる
そして、新居の契約後の住民票や保険の手続きも、もちろん私が連れていきましたよ。
引っ越しまでの間、私は両親を連れていろんな病院へ行きました。
どうしても無理な時は、車を貸しました。
車を貸したら連絡もなしに、半日とか帰ってこないし・・・しかもぶつけて傷ついたのに黙ってた・・・
念願かなってやっと歯医者に行った母は、総入れ歯になり、私に辛く当たり始めました。
まるで、私のせいで総入れ歯になったとでもいう様に・・・。
間食、たばこ、甘いものの摂りすぎ、骨粗しょう症、運動不足、などなど、生活習慣のせい、自業自得です。
私は私で、母が歯を失って、ものすごくショックだっただろうと思ったら、なぜか罪悪感が生まれてしまうという、この悲しきサガ。
私は、母に気遣って気遣って、病状が悪化していきました。
母のために別メニューを作るとなぜかキレられる・・・
夕食では、ものすごく痛々しい嫌な空気が流れていました。
優位になったとたん本性を現す毒母
引越し当日、私たち夫婦は、引越し業者さんへの対応、業者さんへの冷たい飲み物と謝礼の準備、新居の掃除、荷物の開梱をしながら、休む間も無く動いていました。
両親は私の車で新居へ移動。新居の自分たちのスペースの掃除と、自分たちのスペースの家具配置を優先的に引っ越し業者へ指示していました。業者さんにもペースがあるだろうに・・・
引越しがあらかた片付いた頃、私たちは夫の車で、もともと住んでいた賃貸の掃除をしに戻っていました。
私の車は、その日いちにち両親に明け渡していましたので、そのまま両親のために置いて行きました。
「鍵、ここに置いておくから使ってね~。」
「わかった~。」
帰りに、電気屋で冷蔵庫を見ていると、母からの着信。
「こんな時間になるまで私たちを置いて出かけるなんて、お前たちはなんて自分勝手なんだ!
人としておかしいだろ!」と怒鳴られました。
突然の怒鳴り声に、茫然としました。
だって、言っている意味がわかりませんから。
宥(なだ)めながら、話を聞くと、夕飯の時間になっても帰ってこない。
冷蔵庫は空っぽなのに、どうするんだ!
ということのようでした。
子どもかよ!
えっと、今日いちにち、ずっと私の車、置いてあったよね?
自分たちで買ってくればいいのに・・・
無理なら、「帰りに買ってきて」と前もって言っておいてよ・・・
と今なら思うのですが、洗脳状態だった私は、震えながらお弁当を買って、必死で帰りました。
帰って謝っても、怒りは収まらないどころか、
「今までは住まわせてもらっていた手前、我慢してやってたけど、もう我慢の限界だ。
住まわせてもらったと言っても、3万も払ってたんだからお釣りがくるくらいだ。」
と爆発しました。
(わお。我慢してくれてたんだ・・・
私、独身時代は1人分でもっと家に入れてたけど・・・
「こんなはした金じゃなんの足しにもならないわ!」とか、「お前の結婚の時のために貯めてやってるんだから、感謝しなさいよ!」と搾取され、けっきょく、結婚の時には一銭も貰えませんでしたけどね。
そして、「お兄ちゃんの時には、まとまったお金をあげたから」と謎の報告までしてくれてありがとう・・・)
私が、「だから車置いていったよね?」と言うと、
母は、「そんな、置いてったって、お前!
保険がどうなってるのかわからない車になんか乗れるわけないでしょ!
そんな事もわからないなんて、やっぱりお前は意地が悪いわ!」と罵られました。
え?前の家にいるとき、乗り回してたじゃん・・・今日も乗ってきたじゃん・・・
家族限定を付けていないことも、私の年齢以上なら誰でも乗れることも、両親は知っていましたけどね・・・
大体、子どもが実家に住むことと(一人暮らしを反対されていたし)、親が、結婚した娘の家に住まわせてもらうのとでは、まったく意味合いが違いますけどね。
母いわく、怒りの原因は「夫くんは私に意地悪したんだから!」だそうで・・・こどもか!
この温厚を絵に描いたような夫がイジワル?とびっくりしていると、
「お母さんが、せっかく引越しの荷造りとか手伝おうかって言ってあげたのに、夫くんは大丈夫ですって断ったんだから!
なんて意地悪なんだろうって思った!」と。
もう、意味わからん。。。
これをどう曲解したら、意地悪になるんだろうか?ボッキボキに折ってグツグツ煮てみたらいいかしら?
夫が、「そんな風に感じさせてしまったのなら申し訳ありません。
でも、あっちが痛いこっちが痛いって言っているお義母さんに、重い荷物を持ってもらえません。」と言うと、
「嘘だ!あれは意地悪だ!」
と夫を嘘つき呼ばわりして、自分の言い分を突き通しました。
同居で、いちばん我慢してくれていたのは、夫だと思うんですけどね。
なぜそれが分からないのか・・・
我慢してやったって・・・そりゃみんな我慢するでしょ。
我慢が嫌なら、賃貸暮らしの娘の家になんて、転がり込まなきゃいいのに。
最初に、「住民票は受け入れられない」と話してあったよね?
兄にも断られて焦ったのはわかるけど、その矛先を私に向けないでよ。
と今なら思います。
さらに、「さっき、近所に挨拶回りしてきたら、この家の前の持ち主も、同居してた娘の旦那が本当に意地の悪い人で、一家離散だって。やっぱり!」
さすがの父も、「それは関係ないだろ」と小さく反抗。
やっぱり?ん?
え、私たち抜きで挨拶に行ったの?
とことん、私たち無視なのね。
というか、やっぱり引越したら娘夫婦は洋ナシだから、追い出す気でいたってこと?
同居の話が出た時、私は、折半で頼みましたが叶いませんでした。
なので、「私に贈与してくれる予定の遺産はいらないけれど、老後の面倒は見ます。
財産分与になったとき、兄と揉めるような事だけはしたくないので、この家だけでも私が相続できるように遺言書に書き加えてください」とお願いしました。
私は兄の腹黒い本性を知っているので、両親が死んだとたんに、財産分与するからその家から出ていけと言われることは分かっていました。
話をした時は、「たった二人の兄弟だからね。仲良くしてほしいから、分かった」と言っていました。こう言っといて、結局自分で仲違いさせるんだけどね。
しかし、そのことを蒸し返して、「お兄ちゃんを悪者みたいに言ってたけど(思ってるけど、言ってない)、お兄ちゃんはいつも優しい。お前たちこそ結託して何を企んでるんだ!」
と罵られました。
けったく?ケッタク?結託????ぽか~んですよ。
あなた達のような支離滅裂な親と、親から見えないところで平気で嘘をついて妹を貶める兄の本性を知っていますから、最低限の保身をしたまでです。
自分たちが結託して企んでいるから、娘夫婦もそうに違いないと思ったんでしょうね。
ま、自分たちが結託している意識は微塵もないでしょうけど。
私たちは正義!な人たちですから・・・
私は病気で手術をしてから、野菜と魚中心の和食を心がけていました。
どんなに体がつらくても、過呼吸の発作が起きた後も、両親のためにご飯を作り続けました。
「食べたいものを教えて」と何度も聞いたのに、何でもいいと言い続けて、手伝ってと言っても、人の家のキッチンに立つのは悪いからと手伝ってもくれなかった。
それなのに、父は食事の文句を言いました。
父は、「あんな飯を食ってたらダメだ。肉を食わないと!若いのに肉を食わないなんて、ダメだ!」
何言ってんのコノヒト・・・
このとき既に、私は無言ですよ。
何の話してるのか、責められポイントも分からない。
自分の本当の気持ちや、事実を言えば嘘つき呼ばわりされる・・・成す術なしですよ。
ただ罵られるサンドバッグ状態です。
母が畳みかけるようにいいました。
「お母さんが一緒に買い物に行くと、お金出してあげたでしょ?(最初の2、3回くらいだけど…それもそんなに高額じゃない)
それを突然しなくなったの、なんでかわかる?
お前には感謝が足りないからだよ!
お前みたいな人間にいろいろしてやろうなんて、普通は思わないんだからね!」
はいはい、あなたが法律ですからね。
自分で出すからいいよと言っていたのに、勝手に払っておいて文句言うもんね。
きちんとお礼も言ってたけど?
結局、あとからこうやって言われるから、自分で払うよって言ったのに・・・
両親が帰国するときに、私たちにとっては、かなり高級なブランドの夫婦茶碗とマグカップをプレゼントしました。母が食器好きだったので。
私たちは、それについて何も言ってないし、ただただ喜んでほしくて時間をかけて選んだんですけどね・・・
私たちと両親では、贈り物やお金を出すことに対する目的が違うんでしょうね。
相手の為か、自分の為か
で、そんな母は、ずっと無言な私に向かってさらに畳みかけます。
「お前は、お母さん達が恩着せがましいと思ってるみたいだけど、お母さんはそんなつもりじゃないんだから!
そんな風に思うなんて、お前は人としておかしい!
お母さんはお前のために帰ってきてあげたんだから!」
うん。
恩着せにしか聞こえないよね。
実際、目の前で発作を起こす私を見ているのに、そんな私を気遣うどころか、こうして罵っているわけですからね。
帰ってきてから、具合の悪い私のために親身になってくれたとか、手伝いをしてくれたのならわかるけど、ただのお荷物でしたから・・・
そりゃそうですよね、彼らの本当の目的は「娘の為」ではなく、「医者に行く為」ですもん。
それを罪悪感なく、自分たちに都合よく出来るように、「お前のために」わざわざ帰ってやったということにしたんですよ。
物凄いすり替えですね。
本気で思い込んでるから手に負えないんですよね。
とにかく、全てに難癖をつけて、こちらの話は全て嘘よばわり。
ヤ〇ザですよ・・・
話になりませんでした。
私は夫に申し訳なくて、情けなくて、涙が溢れました。
毒母は、自分を正当化するために、全ての経緯、私たちの気持ちすらも、自分に都合のいい様に変えました。
自分は娘の為にこんなにまでしてやったのに、娘とムコが結託して悪巧みをした。
だから、何をしても、言っても当然なのよ!
だって私は正しいんだもん!事実をグニャリ
そもそも、そんなに思うことがあったのなら、引越し前に言ってほしかった。
引越して、どうにもならない状態にしてから言うなんて、ほんと卑怯を絵に描いたような手口で、ある意味すごいな~。
結局わたしたちは、この引越しと、別の新居への立て続けの引越しで、大赤字でした。
夫は、私が泣いて謝ってすがってくる事を、両親が想定していたんじゃないかと言っていました。
本当のところは、今となってはわかりませんが。
プライドが高すぎる母は、娘の家に住まわせてもらうことに、屈辱を感じていたんでしょうね。勝手に・・・
そして、母は「お母さんたちはもう年なんだからね!もうこれからは自由に生きたい!そもそも〇〇県(地元)に家を買いたいんだから!」と言いました。
もう十分自分勝手自由に生きていると思いますよ。
だから、こっちに住んでくれとも、一緒に住んでくれとも、家を買ってくれとも頼んでないから!
脳内変換どうにかして・・・
もう、この人たちはダメだ。
宇宙人より遠い存在だ。
言葉が通じない・・・
絶対に分かり合えることはない。
この人たちといたら、私はダメになる。
それから私たちは、新居を探しました。
幸いすぐに見つかったので、引越し業者に見積もりに来てもらいました。
母は、出て行くまでに何ヶ月もかかると思っていた様で、その間に私が謝ってすがってくると思っていたのかもしれません。
ですが、私たちがものすごい速さで引越しを決めたことで、さらに不機嫌になり、父がいないところで更なる嫌味を言ったり、わざと私をのけ者にして楽しいフリをしていました。
こうやって書くと、女子小学生のイジメですよね。自分の親ながら恥ずかしい・・・
いつものこと過ぎて、もはや慣れてるし、どうでも良かったですが。
立派に毒を受け継いだ息子の登場
毒母は、許しを請わない私を、さらに孤立させる為に、わざわざ兄家族を他県から呼びつけました。
母は唐突に、そしてキレながら、「今日お兄ちゃん達が来るから!」と伝えてきました。
これから私をハブるし、父や兄には嘘をついていたんでしょうね。
だから、とっても小さな声で早口でした。わかりやすっ
兄も、今年はお金キツイから行かないと言っていたのに、あの毒母の子ですからね。
母親にいい顔して自分を売り込んで、私を蹴落とす為なら何だってします。
来ましたよ。
そして、話し合うでもなく、私に話を聞きに来るでもなく、みんなで楽しそうに談笑して出かけて行きました。
あの親にしてこの子あり。
お金を使ってまで、こんな子供じみたイジメを、わざわざする神経に虫唾(むしず)が走りました。
これぞ結託!
こまこ、家具泥棒になる?!
海外移住に持っていかれない大型家具を、親からいくつも預かっていたので、引越しは一番大きなトラックになりました。
当然、引越し代は一銭も出してくれませんでした。
それどころか、「家具は当然、置いていくんだよね!?
お前、持っていく気じゃないよね?
自分で預かるって言ったんだからね?
まさか、忘れてないよね?!」
と蛇のようにネチネチと言われただけで、お礼などは一言もありませんでした。
えっと~、人としてと言うならば、まずは「預かってくれて、ありがとう」だよね?
私の聞き間違えだったかしら~
それとも、私は泥棒だったのかしら~
あんなにデカくて、おばさん臭い家具はいりませんよ~。
賃貸だったので、本当に邪魔で邪魔で仕方なかった。
傷付けないように、気を使うのも面倒だったし、引っ越しのたびにお金がかかるし、これでせいせいしました。
搾取子=親の尻拭い係=こまこ
海外移住について、親戚は賛成していたようです。
母方の祖父を除いては。
祖父には、叔父の意向で、海外旅行に行っていることにしていたみたいです。
長すぎるだろ!
祖父から毎日のように、「お母さんはまだ外国か?」
「いつ帰ってくるんだ?」
「今はどこの国にいるんだ?」
と電話が来て、ごまかすのも限界になっていました。
大体、なぜ私が親の尻拭いしてるの?
祖母を失って少しずつボケはじめ、私も嫁に行ってしまい、娘夫婦(私の両親)は長すぎる海外旅行。
心が弱っていく祖父に嘘をつく罪悪感、本当に苦しかった。
引越し当日、母は「もうおじいちゃんから電話が来ても出なくていいから!」
と言い放ちました。父を後ろに従えて・・・しかも仁王立ちで・・・
私は、祖父からの電話が嫌だったわけではありません。
毎日のようにかかってくる祖父からの電話に、もう心が苦しくて限界だったのです。
自分たちで責任を取って、どうにかして欲しいと言いたかっただけなのですが、責任を取ることができない母の中で、私を悪者に仕立て上げることに決めたようです。
そして、毒母は、私が誰の電話に出て、誰の電話に出ないのかまで毒母が決められると思っていたんですよ。
だって娘は所有物ですから。
こうして私は、親戚からも孤立しました。
両親は、「自由に生きたい」発言でもわかるように、本当の自由は自分たちですべての責任を取ること、責任の伴わない自由はないということが分かっていません。
そして娘の私にも、自由に生きる権利があるとは思わないのです。
周りに助けられていることにも気づかないのでしょうね。
悲しい人生です。
毒母のプライドが高すぎたから、逃げられた!
ありがたい事に、よくある毒親のように粘着質に娘を追いかけることはしませんでした。
なぜなら、すがらせて、傅(かしず)かせるモノのはずの娘を、自分が追いかけるなんて、プライドが許さないのです。
「私を怒らせて逃すなんて、バカな娘」と思いたいのです。
両親の言っていることが理解できない私は、人としておかしいのだそうです。
もうね、私、(母にとって)人としておかしくても、一向に構いません。
だって、どう頑張っても理解できませんもん。
毒母から解放されることで、私はやっと呼吸ができるようになりました。
「私、生きてる!」って思えるようになりました。
それまでは、ここが本当は死後の世界で、本当の世界は別にあって・・・とか、おかしなことを考えていて、生きている実感がありませんでしたから。
あ~生きていてよかった!
私の毒母のように、プライドの高すぎる毒親なら、逃げるのはそこまで難しくないかもしれないですね。
※絶縁は、した後にかなりの衝撃が待っています。
周りに理解して支えてくれる人や、カウンセラーさんがいないと、ほんとうにキツイです。
命の危険がない限りは、慎重に、計画的にコトを運んでくださいね。
毒親を乗り越えた!?
この記事を書いている時、不思議と穏やかでいられました。
イライラもしないし、焦ることもなく、怯えることもなく、なんなら楽しんでさえいました。
明文化することで、だいぶ客観視できていた親のことを、さらに客観的に見ることができたのかなと思います。
どこかのオバさんの、ビックリおもしろ話しみたいな感じでした。
インナーチャイルドが癒されて、もう親に望むことが、なにも無くなったんでしょうね。
ほんの少しでも親に対する期待が残っていると、感情が渦巻いてしまうものですからね・・・
”あ、私、毒親を乗り越えたかも”と思えて、すがすがしい気分です!
毒親育ちのハンデを抱えて、子育てにはまだまだ苦労すると思います。
でも、もう毒母の亡霊はいません。\(^o^)/
躓きながらでもいい、立ち止まってもいい。
娘と夫と一緒に、私たちの幸せを、ゆっくり探していきたいと思います!!
まとまりのない長文を、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
ホルモンと母乳の狭間で揺さぶられる母心
今回は、女性特有のお話なので、不快な方がいらしたら申し訳ありません。
産後から今まで、私は月経前症候群(PMS)に悩まされています。
月経前症候群には様々な症状があると言われています。
- 頭痛
- 腹痛
- 腰痛
- 関節痛
- むくみ
- めまい
- 便秘/下痢
- 悪心、動機
- 眠気、だるさ
等の身体的症状と
- イライラ
- 憂鬱
- 緊張
- 無気力
- 判断力の低下
- 疲れ
- 不眠
- 集中力低下
- パニック
- 妄想症
等の精神的症状があります。
私の月経前症候群(PMS)の症状
私の場合、出産前はひどい生理痛などはあったものの、月経前症候群(PMS)はありませんでした。
産後、11か月くらいで生理が再開した時には、とにかく怠くて、すぐ疲れてしまい、何もやる気が起きなくなりました。
一番ショックだったのは、夫に対して訳のわからない怒りがこみ上げてきて止められなくなったことです。
その他、頭痛・めまい・集中力低下・何も考えられないなど、赤ちゃんを抱えてどうしようもない絶望感でした。
自分がおかしくなってしまったのかも知れないと思ったのです。
とにかく何とかしなくてはと、婦人科で症状について相談をしました。
先生は、「月経前症候群ですね。産後はなる人が多いですが、まだ授乳中なのでお薬は出せません。」とのことでした。
その後も別の婦人科で相談して、漢方なら出してもらえるか聞いたりしましたが、やはり授乳中は、漢方とはいえ処方できないとの答えでした。
このまま卒乳するまで毎月、月経前症候群(PMS)に怯えるのかと恐怖でした。
月経前症候群を改善したいのに、なぜ断乳できなかったのか
もうすぐ5歳になる娘は、まだ夜寝る時の儀式としておっぱいを飲んでいます。
私も、ここまで長い間授乳することになるとは、思ってもみませんでした。
産後直ぐは母乳が分泌されずに、娘の体重が減ってしまったり、泣き止まなくなってしまったりして混合に切り替えました。
退院後に母乳が出始めたのですが、母乳が出るまでの間、私には母乳育児ができないと思い、母乳育児に対して大きな憧れを持ってしまったのです。
そして、母乳育児の情報ばかりを集めるようになってしまったのです。
- 免疫の為に初乳を飲ませるべき。
- 母乳をあげないと免疫が付かない。
- ユニセフやWHOも4歳までの授乳を推奨している。
- 心の離乳は4歳頃。
しっかり洗脳されて、こうしなきゃならないんだと思い込んでしまったのです。
娘が哺乳瓶を受け付けなくなってしまい、完全母乳育児になったことも理由の一つでした。
今思えば、産後の寝不足の朦朧とした頭で、情報だけを取り込んでしまい、自分で精査することができなくなってしまったのでしょう。
確かに免疫が付かないというのは正しいのかも知れません。
それでも今考えると、そもそもそんなに小さいときに、人混みの中には連れて行かなかったので、そこまで母乳育児にこだわる必要もなかったと思います。
様々な理由で母乳を与えられなかった赤ちゃんも、元気に大きくなっているという事は、少し考えれば分かることだったのに、必死過ぎて考えられなかったんでしょうね。
産後の寝不足恐るべし・・・母乳神話恐るべし・・・
月経前症候群が辛いのに、断乳に踏み切れない母の複雑な気持ち
私は運よく母乳育児が出来るようになりました。
ただ、私も生理前になる度に具合が悪くなって、イライラしてしまうのが本当に辛いのです。
なので、娘ときちんとした意思の疎通が取れるようになってきた3歳頃から、「ママはちっち(生理のことを娘はちっちと呼んでいます)の頃になると、疲れちゃったり、イライラしちゃって怒っちゃったりするでしょ?
娘ちゃんは何も悪くないのに、ママが怒っちゃうのはママも娘ちゃんも悲しいよね。
お薬を飲めばママはもっと笑っていられると思うんだけど、お薬はおっぱいの中に混ざっちゃうから、娘ちゃんがおっぱいを辞めないと飲めないんだって。
おっぱいを辞めても、娘ちゃんが寝るまで、ママはトントンもなでなでも、ぎゅーでも何でもするよ。どうかな?」
と何度か聞いてみてはいるのですが、娘にはまだおっぱいが必要だと言うので、今のところ卒乳には至っていません。
私も、月経前症候群(PMS)は辛いのですが、割り切れない気持ちを抱えています。
自然妊娠は無理なこと
年齢的にも体力的にも、もう一人は難しいこと
娘を育てながら、あの辛い不妊治療を乗り越える自信がないこと。
不妊治療をしても、子どもが授かるとは限らないこと。
などから、子どもは娘一人の予定です。
そのため、娘への授乳が最後の授乳になると思います。
ここまで来たら意地もありますが、娘も私も満足して卒乳を迎えたい気持ちが強いのです。
まとめ
でも、ここで断乳してしまっては、娘が悲しい思いをしてしまいます。
薬に頼らずに改善できる方法を探しながら、娘も私も納得できる道が見つかるといいなと思います。
無償の愛で世界の見え方が変わる
数年前までの私は、自己肯定感が低くて、被害者意識が強い人間でした。
そんな自分が嫌で、更に卑屈になって・・・もう負のスパイラルでした。
そんな私を変えてくれたのは、夫と娘の愛でした。
<目次>
子どもがくれる愛のパワー
娘は、出来ない私も、ダメな私も、イライラする私も、全部許し、受け入れ、愛してくれます。
子どもからの愛は、本当の無償の愛なんだと感じました。
「この子は私を必要としてくれている」と感じることで自尊心が育っていき、自分を好きになることができました。
自分が好きになると、いろんなことにチャレンジをする勇気が出たり、娘に対しても少し余裕をもって見守れることが増えました。
(体調不良などで、うまくいかないときもありますが)
実は私は子どもが苦手でした
どうやって接したら良いのかわからないし、一方的で何を言っているのかわからない宇宙人だと思っていました。
でも、自分が子供を産んで育てる機会に恵まれたことで、子ども嫌いは少しずつなくなっていきました。
最初は、我が子と同じ月例くらいの子までなら平気になり、そのうちもっと年上の子たちを見ると、我が子も〇年後くらいには、こんな感じになるのね・・・
と微笑ましく思うようになりました。
生意気だと思っていた言動も、我が子がやっていると成長の証のように思えたり、どんどん子供に対するキャパが増えていきました。
世の中にあまり興味を持てなくなっていた時期がありましたが、今では良い意味で興味を持てるようにもなりましたよ。
親から子供への愛情は?
これは、様々ですよね。
子どもからの愛情のように、純真なものだけではありません。
期待や、コントロールや、押し付けや・・・いろんな感情や思惑がない交ぜになって、愛情を伝えているのではないでしょうか?
特に、日本人は子どもを自分の分身や所有物として扱う傾向があるそうです。
「お前の為に」と一見子どもの為を思っているように錯覚をさせる言葉を巧みに使って、罪悪感を植え込み、精神的/肉体的虐待をする親もいます。
ここ数年、同じような虐待で命を奪われる子どもが後を絶ちません。
虐待のニュースを見るたびに、悲しくて、せつなくて、やるせなくて、何とも言えない気持ちになります。
虐待の危険は誰にでもある
先日も、三つ子ちゃんの次男を殺してしまったお母さんの裁判がありましたよね。
勿論、殺してしまうのはダメです。
でも、子育ての大変さを知っている今は、とても複雑な気持ちです。
1人だって大変なのに、3人同時に赤ちゃんのお世話をしなければならないなんて、私には想像すらできません。
赤ちゃんが生まれたときは、不安もあったでしょうが、喜びもとても大きかったと思います。
でも、退院してみたら現実は何もかもが上手くいかずに、自分を責めて、何かを考えられるほんの少しの余裕も無くなってしまったのかなと…
そして、自分の手で愛する我が子を殺してしまったなんて、その苦痛は想像を絶すると思います。
昔より技術が発達したとはいえ、不妊治療を受ける分母が増えている現代、多胎児の出生率も上がっています。
機能不全家庭で育った子ども達が親となって、虐待を連鎖させてしまう事も多くなるでしょう。
普通の家庭で育っていても、イライラして感情的に怒ってしまうなど、誰でも経験があるのではないでしょうか。
それが自分を蝕み、負のスパイラルに陥ってしまえば、心の虐待をしてしまう親はとても多くなると思います。
自分で気づいて修正していかれる人、周りに助けを求めるのが上手な人は良いのですが、そんな人ばかりではありません。
もっと身近に、気軽に相談できる人や機関が沢山あれば、苦しむお母さんたちが少しは楽になるのにと思わずにはいられません。
「子供が学校で友達とトラブルを起こしてしまい,困っている。」
「家庭内でのしつけについて悩んでいる。」
法務少年支援センター(少年鑑別所)では,そのようなお悩みを,心理学等の専門的知識を有する職員が丁寧にお聞きし,例えば保護者の方に対して,今後のお子さんとの接し方を助言したり,お子さん御本人に継続的にカウンセリングを行ったりするなどの援助を行っています。
お一人でお悩みになる前に,まずは,お近くの法務少年支援センター(少年鑑別所)までお気軽にお問い合わせください。
お母さんこそ自己肯定感を高めよう
いま、巷では子どもの自己肯定感を育てましょうという情報が溢れています。
でも、まずはお母さん自身の自己肯定感が保たれていないと、上手に子どもの自己肯定感を育てる事は難しいです。
私の経験からも、パートナーの方にいつも肯定してもらえると、自己肯定感が育みやすいと思います。
沢山ほめてもらって受け入れてもらう経験を重ねることで、ありのままの自分で存在していていいんだと思えるようになります。
これは、子育てで自己肯定感を育む方法と同じですね。
また、何か夢中になれる事を見つけて頑張ってみることも、効果があります。
夢中になって何かを成し遂げたときの達成感も、自己肯定感を高めてくれるのです。
私もそうでしたが、自己肯定感が低い人は、何かを成し遂げた経験が少ない傾向にあります。
まずは小さなことから成功体験を積み上げていくと、自己肯定感を高めやすいです。
一番の特効薬はやっぱり子ども
パートナーからの協力を得られれば、とても心強いですが、それが叶わなくてもがっかりしないでください!
自分で自分を褒めてあげれば良いのです。
子育て中のお母さんが、今一番頑張っていることは、やっぱり子育てなのではないでしょうか。
今日いちにち、子どもの笑顔をたくさん見られた。
今日は一度も怒鳴らなかった。
今日は子どもとこんなに遊べた。
今日は絵本を〇冊も読んであげられた。
今日は子どもにありがとうと言ってもらえた。
今日子どもは元気に過ごせた。私頑張った!!
私はありのままで子どもに愛されている。
子どもに必要とされている。
何でも良いのです。
どんなに些細なことでも大丈夫!
子育てに悩む時点で、あなたはとても素敵なお母さんです!
お母さんはいつも頑張っています。
お子さんはそれを知っています。
そして、子どもはいつでも、どんなお母さんでも大好きなんです。
私は子どもがくれる大きな大きな愛に、いつも励まされて頑張れています。
やっぱり、子どもの愛は果てしなく深い
今日もたくさんの愛をありがとう!
親ばかってダメですか?
誤解を恐れずに言いますが、私は親バカ最高だと思っています。
不要な自慢は避けるべきですが、親以外、誰が我が子の素晴らしさを見つけて、認めて、褒めてあげられるでしょうか?
<目次>
他の子と比べる事は百害あって一利なし
私の母は、幼少期の頃から常に私と誰かを比べていました。
兄や、近所の優秀なお姉さんなどが主な比較対象でした。
「小さな子どもにとって、数歳という差は大きい」という認識もなかったようで、
私には何も教えないまま、明らかに出来ないであろうことをさせて、「お前は何をやらせても不器用だ、愚図だ」と蔑みました。
その後で同じことを兄にやらせて、「さすがお兄ちゃん!すごいね〜」と褒めていました。
幼心にとても傷付いたことを良く覚えています。
私は段々と萎縮していき、自分は運動音痴で、絵が下手で、不器用で…
などと思い込んでいくようになりました。
結婚後、夫に「器用だね」と何度も言われるようになり、
その度に、「そんな事ないよ。不器用だよ。」と言っていました。
でも、そうやって夫に肯定され続けて思い返してみると、私は運動だってそんなに下手なわけではなかったのです。
走ることは苦手でしたが、それも夫は、走り方を教わってないからだよと言っていました。
今の私は、もう、運動音痴だとか、不器用だとか言わなくなりました。
身近な人に肯定してもらえる事は、とても大切なのだと身をもって体験したからです。
子供の可能性は無限大
私は、自分の経験から、娘が出来ないことを「あなたは〇〇だね」
と決めつけることはしないようにしています。
子どもに決めつけた言い方をしてしまうと、子どもの可能性を潰す事にになると思っているからです。
出来ないことも、「ママも小さな頃はできなかったよ。
でもね、たくさん練習したらできるようになるよ!」と励ますようにしています。
親だからといって、最初から何でも出来るわけではない、
なんでも知っているスーパーマンではないというメッセージを送ることで、
自分の負荷も減っているように思います。
みんな親ばかになればもっと幸せな人が増えるのにと思う
私は生粋の親バカです(笑)
当然、わざわざ他人に自慢はしませんが、
娘のことは、根拠もなく天才だと思っていますし、私にとっては世界で一番可愛いです。
これって親なら程度の差こそあれ、誰もが思っていることですよね。
でも、それをわざわざ他人に言う人はあまりいないと思います。
うちの子の方が!と険悪になっちゃいますし、
謙遜の美が日本人にはありますから。
でも、この謙遜の美を我が子に当てはめるのはおかしいと思うのです。
我が子と言えども自分な訳でも、分身な訳でもない、ひとりの人間なのですから。
例えば我が子が誰かに褒められた時に、親が「そんな事ないよ〜。うちの子なんて全然ダメ!△△ちゃんの方が□□が出来てすごいよ〜!!」
と謙遜のために、わざわざ我が子を貶める事を言うのはとても悲しいし、子どもに失礼だと思います。
大好きな母親からそんな事をされた子どもは、自分に自信を無くしていきます。
もっと子どもに頑張ってほしいという願いが込められていることもあるでしょうが、逆効果だと思います。
もし褒められたら、「え?ほんと?嬉しい!ありがとう!」で良いと思うのです。
私は、褒められたら子どもと一緒に喜んでます。
その後で、相手のお子さんの良いところを褒めてあげれば、お互い様になります。
褒めてくれた相手も、否定されるよりも受け入れてくれて、自分の子も褒めてもらえたら嬉しいのではないかと思います。
少なくとも私は本気で褒めるので、受け入れてもらえると嬉しいです。
私は親ではなく夫に褒められて、少しずつ自信を取り戻しました。
認められた事で、夫に信用されていると自信になったのです。
大人でも効果があるのですから、子どもにとって自分が肯定されることは、これからの長い人生を自信を持って生きて行く為に、とても大切なことなのです。
娘は、今のところ、自分のことをとても好きでいてくれています!
自分を好きだと、人のことも好きになれる。
素敵なことだと思います。
もう少しお互いに、褒められた事を受け入れることにも、褒めた相手が受け入れることにも寛容な世の中になれば、子育てももっともっと楽しくて、気楽になるのになぁ。
ストレス耐性なさすぎて、体調を崩してしまいました
私はストレスにめっぽう弱いです。
毒親から始まって、ほんとうに色々な経験をしてきて、ストレスにも強くなれそうなのに何故かなれません。
義母に虐め抜かれたときも、ストレスから病気になってしまって、手術するまでになってしまいました。
年を重ねることで強くなれた部分、子どもが生まれたことで強くなれた部分はありますが、根本はあまり変わっていないように感じます。
私よりもっと壮絶な経験をしてきても、「おかげで強くなりました」という人がいるのに・・・と思ってしまいますが、きっと元の性格に起因しているのだと思います。
<目次>
怖い妄想をしてしまう
女性は子どもを守るために、危険を回避できるようDNAに組み込まれているそうです。
その為、女性は男性より危険に対する想像力が豊かです。
そして私は、その想像力が半端なく豊かです。
毎日、何度も何度も怖い妄想をしてしまって疲れ、そんな妄想をしてしまう事に罪悪感を持ってしまい疲れます。
小学生の頃は、2階の窓辺に腰かけている人を見るだけで、いろいろと妄想してしまい吐き気を催してしまうほどでした。
10代のころから肩こりと片頭痛に悩まされている
高校生の頃には、ちょうど思春期と重なったこともあり、ストレスが大きすぎて満員電車の中で倒れたりして、自律神経失調症と診断されました。
自分で耳鼻科に行って診断を受けましたが、親に話しても何もしてもらえず、その時に、どんなに辛くても自分で耐えなければならないと悟りました。
母は心配するどころか、「お母さんだって自律神経失調症くらいなったことある。お前より大変だった」と言いました。
それからは更に、本当に小さなことでもストレスを感じてしまい、肩こりや片頭痛に悩まされてきました。
頭痛がストレス性のものだと気付かなかった頃は、全身のCTを撮ってもらったりと原因探しに手間取りました。
ある病院で先生が「これだけ調べて原因がつかめない。ちょっと肩を触りますよ。」
と肩を触ると、先生がぎょっとした顔で「これは肩が凝り過ぎです。ストレスが原因でしょう。」
20代半ばで、やっと原因が分かりました。
子どもが関わると我を忘れてしまう→心配過ぎて体調を崩す
先日、子どもが階段から落ちてケガをしました。
何故か後ろ向きで降りたそうで、滑って2段ほど落ちた拍子に顔を階段に打ち付けてしまった様です。
いつもとは違う泣き声(しかも階段で)に、半ばパニックになりながら走って行くと、血まみれの娘が、「痛いよ、痛いよ」と泣いていました。
どんどん血が溢れ出てきて、どこが傷口なのかも分からない状態でしたが、とにかく頭を打っていないことを確認してからリビングに移動しました。
子どもを抱きかかえながら、私も泣きそうなのを必死で堪えて、「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」と娘と自分を励ましながら、傷口を必死で探しました。
電話相談で看護士さんと話をしながら何とか止血をしていると、娘が寒くて震え始めたので「抱っこしようか?」と聞くと、首を横に振って断られました。
気付くと私も血塗れで、それが怖かったようです。
歯が折れていないか、グラグラしていないか確認しているときも、手が震えすぎて大変でした。
夜間救急に連れていき、歯科医にも連れて行った結果、幸いにも、そんなに大きなケガではなく縫うこともありませんでした。
そして、安心した私は体調を崩してしまいました・・・
子どもがケガをしたことに対して、そこまで張り詰めていたのかと自分でもびっくりしました。
後日夫にも、「娘ちゃんのこととなると、こまこは周りが見えなくなっちゃうよね。
俺、居ないみたいに押しのけられたし・・・」と言われました。
必死過ぎて、夫が目に入っていなかったようです。
子どものこととなると、お母さんはみんな慌てふためいて、自分のこととは比べ物にならないくらい心配して心を痛めますよね。
それでも、もうちょっと強くてしっかりしたお母さんになりたい・・・
娘に関わることは、この先も物凄いストレスを感じるでしょう。
この世の何よりも大切な存在ですから、心配でたまりません。
親は多かれ少なかれ、そういうものなので仕方ないですね。
こういう性格なんだと受け入れながら、ぼちぼちやっていこうと思います。
そして、かわいい娘とワンコに癒されながら、あまり頑張りすぎないように楽しく生きていこうと思います。
毒親育ちの私が、子育するときに気を付けていること~子育て編②~
必要以上に自分を責めない
多くの人が、感情的に子どもを怒ってしまったことがあると思います。
私も感情的に怒ってしまったときは、とても落ち込みますし、自分はダメな母親だと何度も自分を責めました。
毒親の連鎖かも知れないと、思い悩んだこともあります。
そんな私に夫は「反省は必要だけど、全く感情的にならない人はいないんだから、そこまで自分を責めなくてもいいんじゃない?毒親は自分が毒親かも知れないと悩んだりしないから大丈夫だよ。こまこは頑張ってるよ」と慰めてくれました。
そこでまず、感情的にならないためにどうしたら良いのかを考えました。
そして、もし感情的になってしまった時に自分をどうコントロールできるかを考えました。
その後の子どもへのフォローも忘れないように心がけています。
そもそも感情的にならなくて済むように、自分の中の沢山の「べき」を手放しました。
- 部屋はきれいであるべき
- 食事中はお行儀よく座って食べるべき
- 朝は自分で支度をするべき
- 食事は手作りであるべき
この他にもたくさんの「べき」を持っていましたが、家族が笑って過ごせることを優先して、難しい時には最低限でよしとしました。
子どもの話を聞く、意見を聞く
子どもも家族の一員です。
子どもにも子どもなりの意見があります。
私の母親は、大人が話している最中に話しかけると激怒する人でした。
親から意見を求められることなど当然なく、親に考えを伝えることも許されず、話したことを信用して貰うという経験もあまりありませんでした。
母親の中で大きな不満や不安があったのだろうと思いますが、とても悲しかったです。
いつも「お母さん聞いて、お母さん私を信じて」と思っていました。
なので私は子どもが出来たら、きちんと話を聞いてあげられるお母さんになりたかったのです。
子どもに話しかけられたときは、出来るだけ子どもの目線に合わせて話を聞くように心がけています。
子どもは、自分の話を聞いてもらえただけで愛情を感じ取ってくれます。
でも、忙しい時に何度も呼び止められるとイライラしてしまうこともありますよね。
そんな時は「今は手を離せないから後で聞かせてね」で大丈夫です。
必ず後から話を聞くことを忘れないでくださいね。
そうすることで「ママはいつもあなたのことを気にしているよ」と伝わると思います。
小さな頃から親にきちんと話を聞いて貰っていた子どもは、成長して本当に困った時に、親に話をしてくれる可能性が高いようです。
親は話をきちんと聞いてくれる、自分の味方でいてくれると信じているからです。
何かを決める時に子どもの意見を聞くことも大切です。
小さいころから自分の意見を伝えること、自分で決めることができないと、大人になったときに何も決められない人になってしまいます。
私は、洋服も自分で買えるようになるまでは母の好みが絶対で、どんなに嫌でも母が買った服を母のコーディネートで着ていました。
クラスの友達にからかわれても、「お母さんはおしゃれだと思う。からかう子のセンスが悪いだけ」と取り合ってもらえませんでした。
そして大人になってから自分のセンスに自信が持てずに、とても苦労しました。
娘には自分の意見をもって、それを伝えられる人になってほしいと思っています。
なので全身ピンクの服でも、上下柄物でも、娘自信に選んでもらっています。髪を自分で縛ってぐちゃぐちゃでも、「頑張ったね」「自分でできたね!」と言うだけで手直しはしません。
また我が家では、車などの大きな買い物をする時も家族のルールを作る時も、ほとんどの場合で子どもを交えて話し合います。
自分の意見を聞いてもらえて、それを実際に反映して貰えた子は、自分が人として尊重されていることを実感するのではないでしょうか。
人として尊重されていると実感できれば、責任感が芽生えてきて、さらに家族のために自分も頑張ろうと思えるのです。
大好きだよを伝える、抱きしめる
私は母親に抱き締めてもらった記憶がありません。
どんなに傷ついてボロボロになっていても、抱き締めてもらったことが無いのです。
幼少期のスキンシップが足りないと、大きくなってから上手く親離れができません。
いくつになっても親の愛を確認したくなるのです。
乳幼児期には、スキンシップは必要不可欠のものだと言われています。
赤ちゃんは言葉は理解できなくても、母親に抱きしめてもらうことで愛情を感じ、安心できるのです。
親から愛されている自信は、自分を大切にすることに繋がります。
大きくなって親から離れたとき、困難に立ち向かう勇気になります。
スキンシップは親にも安らぎを与えてくれます。
母乳を与える時に出るオキシトシン(別名:幸せホルモン)が、スキンシップの際にも分泌されているからです。
私は自分がイライラしているなと思ったときは、子どもに「ぎゅーさせて」と言って抱き締めさせてもらいます。
そして子どものにおいを嗅ぎながら、ほっとするのを感じます。
親は子どもに与えるものと思っていました。
でも実際に子どもを生んでみると、子どもに与えるよりも多くのものを貰っていることに気付きました。
子どもに教えているつもりでも、教えてもらうことがとても多いです。
まとめ
私も、まだまだ上手くいかない時も沢山あります。
それでも自分の傾向や、どうしたいかが分かっているのと、ただ悩みながら漠然と子育てしているのでは、子育ての楽しさが全く違ってしまいます。
軸がある分、子どもも迷わずに済みますし、間違ってしまったときに立て直しやすいのです。
これからも子育てで悩むことは沢山あると思いますが、その度に自分の方針を思い出して、子どもと一緒に成長しながら楽しんでいきたいと思います!
毒親育ちの私が、子育てするときに気を付けていること~子育て編①~
毒親育ちだと気づいてから、アンガーマネジメント講座に応募してみたり、様々な心理学系・毒親関連・子育ての本を読んで知識を深めていきました。
私には、自分で学んで知識を増やす方法が合っていたようで、苦しいときもありましたが、楽しく学ぶことができました。
それでも子育てとなると、毒親育ちであるかどうかにかかわらず、全てが初めてのこと、自分ではない一つの命を育てる責任、常に選択を迫られる重圧、周りに助けてくれる人がいない環境・・・
子育ては幸な家庭で育った人にも大変なことなので、普通の母親のロールモデルがない毒親育ちの中にはとても大変な思いをしている人も多いと思います。
そんな環境の中でも、私が楽しく子育てができているのは、たくさんの知識を得て、その中から自分で選択をし、自分なりの子育て指針を持ち、誰に何を言われるでもなく自由に子育てができているからでしょう。
私の娘はまだ4歳なので結果はわかりませんが、自分の方針を決めてしまうことで、迷うことが少なくなるので子育てが楽になります。
私のお話で、少しでも楽しく子育てができる人が増えたら嬉しいです。
子どもを否定しない
私は母からいつも否定されて育ちました。
何をしても否定されていたので自分に自信が持てず、いつも母親の気に入る答えを用意していました。
着るものも、話すことも、何もかも母親の理想に近づけるように努力をしていました。
結果、わたしは自分の考えや好み、意見が分からなくなってしまったのです。
誰のために、何のために生きているのかわからず、毎日ただ生きているだけで、なぜかものすごく疲れるのです。
娘には自分の人生を見つけて、自分の力で生きていってほしいと思っています。
これからの長い人生、辛いこともあるでしょうが、それでも自分の力で自分の道を切り開いて、人生を楽しんでほしいと願ってやみません。
ですから、子どもの人格を否定しない、子どもがどんな考えを持っていても否定しないと決めています。
子どもと意見や考えが違うのは当たり前のことなので、自分の意見を伝える時には、「娘ちゃんは〇〇だと思うんだね。ママは△△だと思うよ。」と娘の意見を認めてから、別の意見もあることを伝えます。
自分が考えたことの根拠も伝えます。娘の考えの根拠も聞きます。その上で娘に再度、考えるように促しています。
そこで娘が出した答えには、それ以上何も言いません。
小さなころに小さな失敗を経験することも、とても大切なことだと思うからです。
親は完ぺきではないことを見せる
私は、「親は完ぺきで子どもは親に従うべき」という考えのもと育てられました。
小さな子供は、とても小さな世界で生きており、親に万能感を抱いているものです。
更に親が完璧であるかのように振舞ってしまうと、完璧な親のもと完璧を求められる子どもは窒息してしまいます。
虚勢を張って育ててしまうと、子どもが大きくなって本当の親の姿が見えたときに、親に失望したり、親を馬鹿にしてしまう可能性もあります。
子どものころから親が間違えたり、失敗する姿を見ていると「自分も間違えても大丈夫」「何度でもやり直せる」と前向きになれると思います。
等身大の自分で子どもに接して、等身大の子供を愛してあげたいと思っています。
その躾は誰のためかを考える
最近、躾と称して子どもにひどい虐待をする親が後を絶ちません。
私の親も「お前のため」と称して、自分の思い通りにならないときや、イライラしたときに、泣き叫んで許しを請う私を力づくで雪の降る寒空に追い出しました。
近所の友達の家に助けを求めると、「あんたが近所に逃げ込んだりするから、あんな人に厳しすぎるんじゃない?とか、こんなに小さな子を、なにも追い出さなくても・・・とか言われるんだよ。まったく余計なお世話だよ。人の家の教育に口をだすなんて」と言っていたので、本気で教育だと思っていたのでしょう。
子どもの躾は親の大切な仕事のひとつであり、子ども自身にとっても必要です。
でも、たいていの躾は、自分が他人からどう思われるかということに繋がっているように感じます。
私の母の「あんたのせいで、私が厳しすぎると言われる」という言葉にも見て取れるように、自分の子育ての評価が、他人軸なのです。
ただ自分の思い通りにならないからという幼稚なものは論外ですが(毒親には一番多いパターン)、自分が良い親という評価を他人から受けるための躾は、結局のところ子どものためにはなりません。
良い親かどうかは、他人ではなく子どもが決めることです。
他人は、その一場面だけを切り取って勝手な評価を下すだけですから、気にするだけ無駄です。
他人に迷惑をかけないことは、生きていく上で大切なことです。
でも、誰にも迷惑をかけずに生きていかれる人は皆無ですし、それよりも周りの人と助け合って生きていくこと、自分のことも、人のことも助けられるくらいの自己肯定感を付けてあげることが大切だと考えています。
そのためには、まずはたくさんの愛情と思いやりを親から貰う必要があります。
貰えないものを、人に与えることは難しいですから。
子どもにありがとうと、ごめんなさいを伝える
毒親にとって子どもは、自分が好きにできるモノという認識です(意識していないとは思いますが)。
子どもにだって人権や感情があるという、当たり前のことすら理解できません。
子どもにはごめんなさいを強要するのに、毒親は子どもにごめんなさいとは、口が裂けても言えないのです。
そんなことを続けていくと、子どもは何が正しくて、何が間違っているのか混乱してしまうでしょう。
そして悪いことをしても謝れない子になってしまうか、悪くないのに何でも謝っておけば良いと思って、心のない謝罪をするだけの子になってしまいます。
ですから、私が間違っとことをした時、言動が適切でなかったとき、娘に注意したのに自分ができていなかったとき、私は娘に「ごめんなさい」と素直に謝ります。
私は娘に、自分のことも周りの人のことも大切にしてほしいと思っています。
そのためには、まず、私が娘を尊重して大切にする姿をみせるべきだと思っています。
ですから、私は娘に「生まれてくれてありがとう」と何度も何度も伝えています。
ちょっとしたことでも、娘の優しさや思いやりを感じたときには「ありがとう」を伝えています。
毒親育ちの私が、子育てするときに気を付けていること~子育て編②~へ続く