毒親育ちの私が、子育てするときに気を付けていること~子育て編①~
毒親育ちだと気づいてから、アンガーマネジメント講座に応募してみたり、様々な心理学系・毒親関連・子育ての本を読んで知識を深めていきました。
私には、自分で学んで知識を増やす方法が合っていたようで、苦しいときもありましたが、楽しく学ぶことができました。
それでも子育てとなると、毒親育ちであるかどうかにかかわらず、全てが初めてのこと、自分ではない一つの命を育てる責任、常に選択を迫られる重圧、周りに助けてくれる人がいない環境・・・
子育ては幸な家庭で育った人にも大変なことなので、普通の母親のロールモデルがない毒親育ちの中にはとても大変な思いをしている人も多いと思います。
そんな環境の中でも、私が楽しく子育てができているのは、たくさんの知識を得て、その中から自分で選択をし、自分なりの子育て指針を持ち、誰に何を言われるでもなく自由に子育てができているからでしょう。
私の娘はまだ4歳なので結果はわかりませんが、自分の方針を決めてしまうことで、迷うことが少なくなるので子育てが楽になります。
私のお話で、少しでも楽しく子育てができる人が増えたら嬉しいです。
子どもを否定しない
私は母からいつも否定されて育ちました。
何をしても否定されていたので自分に自信が持てず、いつも母親の気に入る答えを用意していました。
着るものも、話すことも、何もかも母親の理想に近づけるように努力をしていました。
結果、わたしは自分の考えや好み、意見が分からなくなってしまったのです。
誰のために、何のために生きているのかわからず、毎日ただ生きているだけで、なぜかものすごく疲れるのです。
娘には自分の人生を見つけて、自分の力で生きていってほしいと思っています。
これからの長い人生、辛いこともあるでしょうが、それでも自分の力で自分の道を切り開いて、人生を楽しんでほしいと願ってやみません。
ですから、子どもの人格を否定しない、子どもがどんな考えを持っていても否定しないと決めています。
子どもと意見や考えが違うのは当たり前のことなので、自分の意見を伝える時には、「娘ちゃんは〇〇だと思うんだね。ママは△△だと思うよ。」と娘の意見を認めてから、別の意見もあることを伝えます。
自分が考えたことの根拠も伝えます。娘の考えの根拠も聞きます。その上で娘に再度、考えるように促しています。
そこで娘が出した答えには、それ以上何も言いません。
小さなころに小さな失敗を経験することも、とても大切なことだと思うからです。
親は完ぺきではないことを見せる
私は、「親は完ぺきで子どもは親に従うべき」という考えのもと育てられました。
小さな子供は、とても小さな世界で生きており、親に万能感を抱いているものです。
更に親が完璧であるかのように振舞ってしまうと、完璧な親のもと完璧を求められる子どもは窒息してしまいます。
虚勢を張って育ててしまうと、子どもが大きくなって本当の親の姿が見えたときに、親に失望したり、親を馬鹿にしてしまう可能性もあります。
子どものころから親が間違えたり、失敗する姿を見ていると「自分も間違えても大丈夫」「何度でもやり直せる」と前向きになれると思います。
等身大の自分で子どもに接して、等身大の子供を愛してあげたいと思っています。
その躾は誰のためかを考える
最近、躾と称して子どもにひどい虐待をする親が後を絶ちません。
私の親も「お前のため」と称して、自分の思い通りにならないときや、イライラしたときに、泣き叫んで許しを請う私を力づくで雪の降る寒空に追い出しました。
近所の友達の家に助けを求めると、「あんたが近所に逃げ込んだりするから、あんな人に厳しすぎるんじゃない?とか、こんなに小さな子を、なにも追い出さなくても・・・とか言われるんだよ。まったく余計なお世話だよ。人の家の教育に口をだすなんて」と言っていたので、本気で教育だと思っていたのでしょう。
子どもの躾は親の大切な仕事のひとつであり、子ども自身にとっても必要です。
でも、たいていの躾は、自分が他人からどう思われるかということに繋がっているように感じます。
私の母の「あんたのせいで、私が厳しすぎると言われる」という言葉にも見て取れるように、自分の子育ての評価が、他人軸なのです。
ただ自分の思い通りにならないからという幼稚なものは論外ですが(毒親には一番多いパターン)、自分が良い親という評価を他人から受けるための躾は、結局のところ子どものためにはなりません。
良い親かどうかは、他人ではなく子どもが決めることです。
他人は、その一場面だけを切り取って勝手な評価を下すだけですから、気にするだけ無駄です。
他人に迷惑をかけないことは、生きていく上で大切なことです。
でも、誰にも迷惑をかけずに生きていかれる人は皆無ですし、それよりも周りの人と助け合って生きていくこと、自分のことも、人のことも助けられるくらいの自己肯定感を付けてあげることが大切だと考えています。
そのためには、まずはたくさんの愛情と思いやりを親から貰う必要があります。
貰えないものを、人に与えることは難しいですから。
子どもにありがとうと、ごめんなさいを伝える
毒親にとって子どもは、自分が好きにできるモノという認識です(意識していないとは思いますが)。
子どもにだって人権や感情があるという、当たり前のことすら理解できません。
子どもにはごめんなさいを強要するのに、毒親は子どもにごめんなさいとは、口が裂けても言えないのです。
そんなことを続けていくと、子どもは何が正しくて、何が間違っているのか混乱してしまうでしょう。
そして悪いことをしても謝れない子になってしまうか、悪くないのに何でも謝っておけば良いと思って、心のない謝罪をするだけの子になってしまいます。
ですから、私が間違っとことをした時、言動が適切でなかったとき、娘に注意したのに自分ができていなかったとき、私は娘に「ごめんなさい」と素直に謝ります。
私は娘に、自分のことも周りの人のことも大切にしてほしいと思っています。
そのためには、まず、私が娘を尊重して大切にする姿をみせるべきだと思っています。
ですから、私は娘に「生まれてくれてありがとう」と何度も何度も伝えています。
ちょっとしたことでも、娘の優しさや思いやりを感じたときには「ありがとう」を伝えています。
毒親育ちの私が、子育てするときに気を付けていること~子育て編②~へ続く